青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成18年度 調査員報告

福士修二 調査報告

調査対象佐藤俊雄 さとう としお
プロフィル昭和48年、県歌人懇話会副会長に就任。以後、東奥日報社主催青森県短歌大会並びに市町村における県下短歌大会の選者を長く務めるなど青森県歌壇の指導者であった。
生没年1909(明治42)年3月18日-1992(平成4)年3月12日
主な作品遺歌集『赤とんぼ』
青森との関わり佐藤俊雄は、明治42年3月18日弘前市に生まれた生粋の青森県人である。
作家解説  明治42年3月18日弘前市に生まれる。大和沢小学校、弘中、弘高を経て昭和7年3月東京帝国大学文学部卒業。昭和7年4月より県立弘前中学校、県視学、弘前市学務課長、県立弘前中央高校教頭歴任。昭和41年4月県立八戸東高校校長をもって教職を退任。
  昭和10年4月、県立弘前中学校同職の森山謙一郎氏のすすめにより短歌結社「潮音」に入社。昭和38年1月幹部同人となる。昭和48年7月県歌人懇話会副会長(48年より63年まで)。昭和53年8月より弘前潮音会会長。昭和57年7月より弘前市歌人連盟初代会長。昭和57年11月教育功労により勲四等瑞宝章受章。昭和60年1月宮中歌会始陪聴者となる。62年6月青森県歌人功労賞受賞。平成4年3月12日満83歳の誕生日を目前にして永眠。正五位に叙せられる。遺族の願いにより一周忌に遺歌集『赤とんぼ』を発行。
  ライフワークとして藤原定家の研究をされ、その資料も多くあると思われるが門外不出、自らを「定家狂」と名乗る。
  母校大和沢小学校校歌を作詞、作曲明本京靜。弘前高野山法光院住職の懇請に応え境内にある水子観音像を詠んだ歌「生まざりし子ゆゑにまよふ親ごころ大悲のみ手にすがるおもひを」は佐藤中隠の筆により台座に刻まれている。
  菩提寺の宗徳寺境内には「八旬の白髪かすかにもえつつぞはにかみむかふ紅八重桜」が歌碑として建立されている。
  歌集以外の執筆としてまとまったものは、同人誌「潮音東北」45、46、50〜55に連載の「治承の春の夜」がある。
関連資料遺歌集『赤とんぼ』

図書、1993(平成5)年3月12日、209o×145o

父には近寄り難く、また遠い存在という印象がありました。それなのに、引きつける何かがあったように思います。父に相談もなく、歌集をつくって怒っているだろうか。いや多分、母と二人で苦笑いしているだろう。兄妹4人で纏め上げた歌集です。長兄、弘次氏のあとがきによる566首を収める。