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本名は高木陸奥男(みちのくお)。筆名は横光利一の命名(菊池寛、岡鬼太郎、久米正雄、横光利一からそれぞれ一字を採る)と言われる。別号鷹樹寿之介。 母の実家のある秋田の小学校に入学。小学校卒業後上京、海城中学校に入学するが、二年で中退。この間、「日本詩人」の新人特集号に千家元麿選で二位に当選(一位は黄瀛(こうえい))。黄、尾崎喜八、宮崎丈二らと、詩誌「海」を出版。 大正14年秋田に帰り小坂鉱山の大争議に関係、また、「秋田魁新聞」、地元同人誌に詩を発表する。 「黒色戦線」廃刊の後に創刊された「弾道」に農本思想批判論(昭和5年11月)を書き、昭和10年「詩行動」で詩作を再開し、詩誌「反対」を岡本潤とで主宰し、詩を発表。 11年武田鱗太郎主宰の「人民文庫」に詩を発表。 13年本庄陸男らの「槐(えんじゅ)」に同人となり詩、評論にも活躍。 15年「槐」が改題「現代文学」となり、引き続き同人、かつ大井広助、平野謙らとともに編集を担当、詩(17篇)、小説、時評などを発表。「歴程」参加もこの頃。 詩集『貧時交』(昭和11年)は日本無政府共産党事件の被疑者とし留置中、第一書房主長谷川らの援助によるものであった。13年詩集『時の玩具』、15年『見える天使』、戯曲集『野鴨は野鴨』を出版。 戦時中、アナーキズムから民族主義に転向し頭山秀三門下となる。 戦後、22年高見順、池田克巳らと「日本未来派」を創刊。24年小説集『怖るべき子供たち』、27年同『銀座八丁』、31年同『ノンコのころ』を出版。 晩年、大映の企画部、文化学院講師、二科会会員など、多くの団体に関係した。 |
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