青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成18年度 調査員報告

和井田勢津 調査報告

調査対象小野寺翠花 おのでら すいか
プロフィル 歌人。本名小野寺淳。仙台出身で明治末年、八戸で翠友会をおこし、新聞「はちのへ」等に作品を発表した。
生没年不明
主な作品『小野寺翠花歌集』
青森との関わり八戸の奥秋確と交友をもち、八戸で短歌活動をした。
作家解説  仙台生まれの歌人。本名小野寺淳。明治37年仙台の宮城病院に入院中、八戸の医師奥秋確と出会い、以後音喜多政治と2人を師として敬い親交を深めていった。
  明治39年10月兵役のため八戸を訪れた翠花は「上北郡三本木奥秋出診所」に居を借り、医師開業試験受験準備で青森市浦町岩木屋にしばらく逗留した時期もある。しかし三本木出張所が閉鎖したため八戸町番町の奥秋方に移り、短歌捜索活動を開始。明治42年より新聞「はちのへ」に「翠花集」として43回連載した。「東奥日報」の「蘭菊会詠草」にも発表している。「蘭菊会回覧誌」には明治42年3月から43年12月まで、短歌、詩、文章を載せており、消息もここから知ることができる。この他、「東北」「常磐木」「創作」「文章世界」「昴」に短歌を発表している。
  八戸においては明治44年1月に翠友会をおこし、翌2月から「はちのへ」に「翠友会詠草」を掲載、短歌の他小説、詩を発表、同人として和田山蘭、佐野翠坡、八戸の下野白果、岩手の小田島孤舟らが名を連ねている。
  小野寺翠花が八戸で短歌活動をしたのは明治40年代の数年である。しかし俳句主流であった八戸において短歌で一つの動きを示したという点で、その名を記録したい。