注目の作家6 成田 千空
 草田男の精神を継承、北の地で俳壇をリード

成田千空(なりたせんくう)
1921(大正10)年〜2007(平成19)年

  大正10年3月31日、青森市安方町80番地に生まれる。本名、力(ちから)。昭和14年青森工業学校を卒業し上京、富士航空計器株式会社に就職するが、戦時下の激務で肺結核に侵され昭和16年に帰郷。闘病中に俳句をはじめる。高松玉麗(ぎょくれい)らの俳句結社松濤社(しょうとうしゃ)をへて吹田孤蓬(すいたこほう)らの青森俳句会に参加、同人の厳しい批評の中で句作に励んだ。20年の青森空襲で母の実家のある五所川原市飯詰(いいづめ)に移り住み、農業と作句の日々を送る。代表句の一つ「大粒の雨降る青田母の故郷(くに)」は、この頃の作。
  戦後「暖鳥(だんちょう)」の創刊(昭和21年)に加わり青森県俳壇の中心的存在となるが、同年、中村草田男(くさたお)が主宰誌「萬緑(ばんりょく)」を創刊するやいち早く参加。28年に第1回萬緑賞を獲得し中央俳壇でも注目を集める。58年に師の草田男が逝去、「萬緑」同人等より再三上京を勧められるが固辞、あくまでも棲む所は五所川原、作品もこの北の大地より生み続けることを表明する。しかし、「萬緑」雑詠欄選者の香西照男、続いて北野民夫が師の後を追い、63年、在郷のままで第4代選者に、平成13年から「萬緑」代表となる。
  昭和63年、有名出版社から出した立派な装丁箱入りの句集でなければ賞は取れないという一般定説を覆し、青森県文芸協会出版部出版の装丁も簡素な第二句集『人日(じんじつ)』(昭和63年)が、選考委員の満場一致で俳人協会賞に決定。その後も津軽の風土に根差した句を読み続け、 平成10年、第四句集『白光(びゃっこう)』(平成9年)で俳壇で最も権威のある蛇笏(だこつ)賞を受賞。13年には第五句集『忘年(ぼうねん)』(平成12年)で詩歌文学館賞を受けた。ほかに、第一句集『地霊(ちりょう)』(昭和63年)、第三句集『天門(てんもん)』(平成6年)、第六句集『十方吟(じっぽうぎん)』(平成19年)がある。平成17年から読売俳壇選者。蛇笏賞の選者も務めた。また、県文芸協会理事長として後進の育成にも尽力、昭和62年県文化賞、平成8年勲五等瑞宝章、16年には五所川原市の名誉市民となっている。
  「みちのくも北深く棲み一気冴ゆ」―中村草田男が愛弟子千空に与えた句で、千空の第一句集『地霊』の巻頭を飾った。千空の作る句は正に「一気冴ゆ」。それは、己の生きる処すべて自然の中、天地の愛の中という北の風土の実在感から生み出されたものであった。平成19年11月17日、86歳で死去。

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