【青森県近代文学の名品】

Vol.6 増田 手古奈(てこな)

色紙 「山の温泉(ゆ)や夕鶯のいつまでも」




このページは、青森県の広報「メルマガあおもり」掲載の文学館の連載と連動しています。ここでは「メルマガあおもり」には掲載されない資料写真を掲載しています。

増田手古奈は1897(明治30)年10月3日、南郡蔵館村(現大鰐町)に生まれた。大正12年に東京大学法医学教室で血清学の研究をしていた時、同じ教室にいた水原秋桜子(しゅうおうし)に強く勧められて高浜虚子(きょし)の門に入る。虚子門下の4S(誓子(せいし)、青畝(せいほ)、素十(すじゅう)、秋桜子)台頭の時代で、手古奈はその後に続く新人の一人であった。昭和6年、家業を継ぐべく郷里の大鰐町に医院を開業。この年の1月に東北では唯一のホトトギス系の俳誌「十和田」を発行主宰し、その後、長きにわたり客観写生の俳句の道を広めた。「十和田」は手古奈が没した1993(平成5)年5月、第63巻第5号(通巻734号)をもって終刊した。

「山の温泉や夕鶯のいつまでも」
昭和25年刊行の『手古奈句集』の序文では、師の高浜虚子より「手古奈君はとこしへに東北の俳諧の重鎮たるを失はない」と評された。虚子が『手古奈句集』の中から試みに30句を抜粋した中には、「山の温泉や夕鶯のいつまでも」の句が含まれている。

手古奈の故郷、大鰐町・茶臼山公園にある増田手古奈の句碑には、この句が刻まれている。

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