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【青森県近代文学の名品】

Vol.61 天内浪史・詩碑拓本「野菊」
拓本・工藤四代治

 天内浪史(あまないろうし)(1887-1942)は、黒石市出身の詩人。もともとは短歌を作り、和田山蘭・加藤東籬の蘭菊会回覧誌や歌誌「東北」に投稿していたが、1919(大正8)年、本県初の詩の結社「パストラル詩社」の同人となり、本格的に詩作を始めた。

 「パストラル詩社」は、短歌全盛だった当時の本県文壇の中で、詩という新しいジャンルに魅力を感じ、先輩詩人・福士幸次郎に指導を仰いで詩作に励んだグループである。後藤健次、一戸怜太郎(謙三)、桜庭芳露、と十代や二十代の同人の中にあって、天内は最年長の三十三才。すでに小学校教員として十数年勤務し、左脚の疾患に苦しんだ経験も反映してか、作風には老成した面があった。船水清は天内の詩について、平明枯淡であり、その基底には深い孤独感が流れていると指摘している。

わたしの生れた日も、ひとりだった。
生くるいまも、ひとりだ、
死ぬる日も、ひとりだらう、
ひとりを淋しむこと、ひとりを悲しむことは愚かなことだ。

(「更生の日」・パストラル第六詩集『落葉する頃』より)

 1930(昭和5)年12月、天内は白鳥省吾主宰の「地上楽園」同人として、詩集『詩車にゆられて』を出版した。パストラル以来の平明枯淡な詩風はさらに極められ、八十九編の詩はどれも、まるで詩人のつぶやきがそのまま形になったのではと思うほどの、素朴な抒情詩である。後年、黒森山浄仙寺の詩碑に刻まれた「野菊」も、その中の一編である。

世に
さびしさといふものの
あるゆゑに
秋の日ざしに身も静かなれ
往きかふ人のまれなる
野のみちのべに
紫の花―菊の花
ようも咲いたぞ

 当時、プロレタリア傾向、超現実主義、と新傾向の詩が現れ対立していた県内詩壇にあって、天内はそれらの流れに乗ることもなく、この詩集の出版後は詩作から離れてゆく。「後記」で天内は、「詩車にゆられて、長い歳月を、よちよちやつて来たのです。/私の辿つた道は、正しい軌道でしたらうか?」と問いかけ、「おお、往かう! まつしぐらに往かう!」と結んだ。時流に乗らず、もはや古いものとされた「パストラル」以来の詩風をついに変えなかった詩人の足跡を象徴する、印象的な決意宣言である。

(主幹・佐々木朋子)

(平成20年6月5日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)