【青森県近代文学の名品】 

Vol.5 岩谷山梔子(いわや くちなし) 
短冊 「囀や松杉ふかき山つゞき」

明治25年、正岡子規は新聞「日本」に「獺祭書屋俳話(だっさいしょおくはいわ)」を掲載、客観写生による俳句革新に乗り出した。俳句革新の舞台となった新聞「日本」は、明治35年の子規の死後、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)の時代へと移る。その碧梧桐が「三千里」の旅の途中で本県に立ち寄った際、津軽半島から弘前・板留の各地に随行したのが岩谷山梔子である。碧梧桐選の日本派の俳句集『続春夏秋冬』『日本俳句抄』に多数の句が入集、頭角を現した。また、明治43年夏、大谷句仏(おおたにくぶつ)の樺太巡錫(じゅんしゃく)に随行、秋には句仏を頼って京都にでる。京都では句仏の俳句雑誌「懸葵(かけあおい)」の編集を手伝うことになる。

「囀(さえずり)や松杉ふかき山つゞき」

 明治37年5月23日の新聞「日本」が初出のこの句は、詞書きに「外ヶ浜義経寺」とあり、『山梔子第一句集』に収録されている。

 この句が収められている短冊は、句碑もなく「忘れ去られた」俳人・岩谷山梔子が、明治の俳句革新期に活躍したことを伝える貴重な一枚である。

 このページは、青森県の広報「メルマガあおもり」掲載の文学館の連載と連動しています。ここでは「メルマガあおもり」には掲載されない資料写真を掲載しています。
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