Vol.53 太宰治・書軸「聖諦第一義」
「聖諦(しょうたい)」とは仏教の言葉で「聖なる真理」という意味。「聖諦第一義」は、禅宗の公案集『碧巌録』第一則に出てくる言葉で、「根本の真理」と解釈されている。
太宰の作品に「聖諦第一義」の語が使われているものはないが、「聖諦(せいてい)」という言葉は『お伽草紙』の「浦島さん」の中に登場する。
亀に案内されて龍宮へやって来た浦島さんは、脚下から、かすかな琴の音を聞く。「柔かで、はかなく、さうしてへんに嫋々(じょうじょう)たる余韻がある。菊の露。薄ごろも。夕空。きぬた。浮寝。きぎす。どれでもない。」……はかなくも気高い凄(さび)しさをたたえた、その不思議な曲の題名が「聖諦」であるという。浦島さんは、この曲の題名を聞いて、龍宮の生活には、自分たちとは段違いの崇高なものがあることを感得する。
「真の上品(じょうぼん)といふのは聖諦の境地さ、ただのあきらめぢや無いぜ、わかるかね、批評なんてうるさいものは無いんだ、無限に許されてゐるんだ、さうしてただ微笑があるだけだ、わかるかね」
『お伽草紙』は、「瘤取り」「浦島さん」などのおとぎ話を素材に、太宰が自由な発想や人物造型を盛り込んで新しい解釈をした翻案小説だが、もともと仏教の言葉である「聖諦」にもまた太宰流の解釈がほどこされ、「理想の境地」を示す新しい言葉に生まれ変わっている。
太宰は毛筆で字を書くことが好きで、自宅では酔ってごきげんになるとよく筆を揮い、集まった若い人たちに惜しげもなく進呈していた、というエピソードが、美知子夫人の随筆集『回想の太宰治』に綴られている。酔余の遊びとして、まわりから何の彼のと騒がれながら、自作の一節、聖書の引用、和泉式部や伊藤左千夫の短歌など、気ままに揮毫して、楽しく快く酔いを発散していたという。
この書軸は、太宰の従弟で古くからの友人だった小館保氏旧蔵の資料だが、やはりそんな状況で書かれたものであったのだろうか。「おれの字は習った字でない、自分の字だ、と自慢するのが常だった」との美知子夫人の言葉が示すとおり、存在感のある、太宰ならではの文字である。
(主幹・佐々木朋子)
(平成20年04月10日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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