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【青森県近代文学の名品】

Vol.51  齋藤吉彦  調査メモ帳「上磯風聞志」

  齋藤吉彦は、1904(明治37)年2月10日、弘前市元寺町齋吉旅館に当主の長男として生まれた。昭和の初期、わが国の民俗学の開花期に柳田国男らの影響を受けて民俗学・言語学を志し将来を嘱望されたが、学半ばで病に倒れ、1930(昭和5)年12月15日に26歳の若さで没した。
  吉彦は、旧制弘前中学(現・弘前高校)から慶応義塾大学に進み、文学部仏文科で頭角をあらわし、卒業に際してフランス政府から賞牌(しょうはい)を贈られるほどの優秀な成績であった。そのかたわら、柳田国男、折口信夫らの影響を受けて民俗学・言語学の研究を志し、郷里の民俗学的研究の開拓に取り組み、大いに嘱望されていた矢先の夭折(ようせつ)であった。
 終戦前の1944(昭和19)年8月2日、折口信夫(釈迢空)は吉彦の生家である齋吉旅館に泊まってその面影を偲び、次の一首を詠んだという。「つかるのまち しつかなる夜に君をおもう あたかもこよひ盆月夜なる 迢空」

  吉彦の遺稿のほとんどは三上富枝編『斎藤吉彦全集』(1990)一巻に収められたが、「上磯風聞志」は入っていない。 「上磯風聞志」は、吉彦が1928(昭和3)年の8月18日から上磯地方(津軽の外ヶ浜一帯)の民俗・方言などの調査旅行をした時のメモ帳(72枚)である。B4版藁半紙を四つ切りにした帳面にペンまたは鉛筆でメモをとっているが、走り書きであり、時には図解を入れたり漫画のようなものも描いている。ちょうどネブタの時期にかけて、同地方のネブタの状況も調べており、「今別村のネブタ」について次のように書いている。
  「櫻の木を横にあしらひ櫻の精を脊にしたる大友黒主の人形ネブタ。手に斧をもつ。裏面のミオグリは、島田だか丸まげだかよくわからぬ髪の現代美人が風鈴の下に乳房を露し、さうして腰巻(赤色)をものぞかせたる立身像である。弘前のネブタではミオグリは特に凄惨なる味の有るナマクビ生首等が好まれるのであるが、これは又、非常にエロティッシュであった。敢て云へば下品である。見物の今別村嬢子等も『ダラシネァカコダノ』とささやいて居た。」
  ユーモラスで生き生きとした描写である。また、「町は既に暗く灯のもれる家は殆ど無い。ひとり向ひの下駄屋ばかりはランプ三つもともして未だ晝の仕事を続けてゐる。母にともなはれた娘二三人が店先で板をけづるのを眺めてゐる。」という抒情的な描写もある。

  吉彦は、今別から先は徒歩で海沿いの道をたどり津軽半島北端の龍飛に至るが、かなりの難儀であったらしい。資料写真として掲載したページには「慶應義塾大学文学士斎藤吉彦君龍飛行の険路にヘキエキする之圖」と書かれている。旅の帰りは龍飛か三厩から船で青森に出たようである。吉彦24歳、貴重な調査の記録である。「上磯風聞志」は、吉彦没後70年の2000年3月、蘭繁之の緑の笛豆本・第377集(解題・坂口昌明)として刊行された。

(室長・櫛引洋一)

(平成20年3月27日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)