Vol.50 葛西善蔵 『哀しき父』(舟木重雄宛献辞入り)・書軸「仰山曽不遊山」 名品コーナーへ 文学館TOPへ

葛西善蔵(1887〜1928、現弘前市出身)の処女作「哀しき父」が同人雑誌「奇蹟」に掲載されたのは、1912年9月のことであった。単行本『哀しき父』(改造社)は、それから10年を経た22年9月に刊行されたものであるが、当館では「舟木重雄兄 葛西生」という献辞入りの一冊を所蔵している。この本には40箇所に及ぶ書き込みが見られ、それらのほとんどは誤植を訂正したものである。献辞と同様、青みを帯びたインクで記されていることから、贈呈するに当たり忽(ゆるが)せにできず、善蔵本人が行ったものと見られる。
舟木重雄(1884〜1951)は東京、芝の生まれで早稲田大学文学科に長く在籍、年少の同人たちをまとめ「奇蹟」の編集兼発行人を務めた人物である。「奇蹟」廃刊後も創作に対する志は潰(つい)えることなく、同人たちとの親交も続いた。1926年8月、家政の雑事から離れ創作に専念することを期して奈良へ移住、この際に善蔵が餞別として書き贈ったのが当館所蔵の書軸「仰山曽不遊山」である。この言葉は『碧巌録(へきがんろく)』という禅の公案集に見られるもので、仰山(きょうざん)という僧の言行に由来した第34則の題目であり、本来は「仰山(きょうざん)曽(かつ)て遊山(ゆさん)せず」と読む。ところが、善蔵は同時期に発表した「小感」という談話の中で、長い間「山を仰(あお)いで曽(かつ)て山に遊ばず」と自己流の読み方をしてきたと明かしている。この言葉を贈った善蔵の真意は、書軸を受けた前後の出来事を題材に舟木が描いた小説、「山を仰ぐ」(『舟木重雄遺稿集』所収)から窺い知ることができる。作中で、餞別の書を披露したZ君(善蔵がモデル)は奈良出発を翌日に控えた「私」に次のように語りかける。
「君も俺もこれまで山ばかり仰いでゐる。お互ひにそろく山に遊ばにやなるまいがな」 この言葉に心打たれた「私」は「窮乏この上もない生活を幾年となくつゞけながらも、仕事に対する熱情を失はない友」を尊く思い、眼に涙を滲ませることになる。
献辞入りの『哀しき父』、書軸「仰山曽不遊山」、青年期から歩みを共にしてきた畏友・舟木重雄との友情の厚さを物語ると同時に、真摯(しんし)な態度で芸術と向き合った葛西善蔵という作家の生き様を感じさせてくれる資料である。
(主事・竹浪直人)
(平成20年3月20日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
|