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【青森県近代文学の名品】

Vol.49 北畠八穂・聖書


「新約全書 詩篇附」(大正3年1月・米国聖書会社刊)縦13,6p×横10,0p


 北畠八穂が鎌倉の自宅に遺した身の回りの品の中に、一冊の聖書がある。文庫本よりひと回り小さなサイズの革表紙に、「新約全書 詩篇附」のタイトルが金箔で記されている。
 大正三年発行のこの聖書を八穂がいつから持っていたのかはわからないが、革表紙はすりきれ、赤と青の色鉛筆で幾度も傍線や丸印が書き込まれて、長い間手もとに置いたことが窺える。
 八穂の祖母と母とは共に敬虔なクリスチャンで、八穂は二人の影響から自然にキリスト教に親しんで育った。週末ごとに遊びに行った祖母は、聖書のお話を昔話とともに語ってくれた。また優しかった母は、悪いことをすると「マコは、エス様のいい子か、わるい子か」(「マコ」は八穂の愛称、「エス様」はイエス様のこと)と微笑んで問いかけ、間違いに気づかせてくれた。「牧師さんに取り次いでもらわなくとも、エス様と私はツーツーだ」と洗礼こそ受けなかった八穂だが、生涯自分なりに信仰を続けた。戦後、鎌倉山の戦災孤児を集めて、自宅の一角に小屋を建て牧師を呼んで日曜学校を開いてもいる。脊椎カリエスやその後遺症と闘いながら書くことを止めなかった八穂の生涯、逆境に立たされながらも明るく生きようとする八穂の作品の登場人物たちの背景には、キリスト教精神の影響が確かにあった。

  むくのからだについた
  かなしみのきず
  いたでのあと
  それはみんな
  わがみからにじませた魂のしづくで
  しんじゆにならねばはづかしい。

  エス様はあがなひの血と切なみを
  いなづまの栄光にして
  天にのぼられました。
  私共もせめてしんじゆのよそほひで
  それをさん美するうたと
  まぼろしを弔ううたをうたいませう。    (詩「しんじゆ」より第一連、第四連)

 自らの悲しみや痛みを美しい真珠のような魂に変え、それを身につけて、十字架の死によって人間の罪を贖ったイエス様を賛美しよう―。この「悲しみを生きる力に変える」というテーマは、代表作『鬼を飼うゴロ』『耳のそこのさかな』をはじめ、八穂作品に繰り返し現れる。それは、幼い頃から親しんできた聖書の教えが八穂なりに昇華されたものであり、八穂自身の生き方のテーマでもあった。

(主幹・佐々木朋子)

(平成20年3月13日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)