| Vol.46 「文芸王国」 創刊号 ( 佐々木千之 編集)
佐々木千之(ささき・ちゆき、1902〜89、札幌市出身)は、弘前生まれで山林技師であった父の異動により、7歳から13歳まで約6年の月日を青森市で過ごした。その後、家族とともに上京し独逸学協会中学校を卒業、文学を志し1924年に新潮社に入社した。同年5月の新潮合評会の席で、かねてから「同郷の先輩」として注目していた葛西善蔵(1887〜1928)と出会い、親交が始まる。以後、千之は善蔵と酒を酌み交わす中で多くの文学上の助言を得て行くことになる。25年9月、少年期の青森での生活に題材を取った『憂鬱なる河 第一巻 北国』を新潮社から出版。翌26年10月には『憂鬱なる河 第二巻 苦悩の街』を刊行したが、これを機に千之は創作に専念するため新潮社を退社した。
28年春、善蔵宅に出入りしている青年の間で文芸雑誌創刊の話が持ち上がり、千之は編集人を務めることになる。胸部疾患を抱え1年以上小説を発表していなかった善蔵も参加を熱望、誌名は善蔵の意向で「文芸王国」と定められた。当館では同年6月に発行された「文芸王国」創刊号を所蔵している。この号で善蔵は小説の寄稿こそ果たせなかったものの「お詫び」という文章を発表、「十分でも二十分でも仕事に全神経を集注させる。それが最上の療法であり、他に自分を救ふ道はないのだと云ふ気がされるのである」と心情を綴った。千之は編集後記において善蔵の近況に触れ、「病める氏が、今後毎号執筆しようと約束されたのは、実に芸術精進の誠実が迸(ほとばし)り出てゐるのである」と評している。しかし病勢は進み、善蔵は7月23日に逝去、「芸術院善巧酒仙居士」の戒名を贈られるに至り、6月中旬に刊行された『憂鬱なる河 第三巻 恋愛行』に寄せた跋文(ばつぶん)が絶筆となった。そして「文芸王国」であるが、資金難により翌29年2月の通巻第9号をもって廃刊となる。
その後、千之は32年から39年まで小学館に勤務、戦時中は『十和田湖の開発者和井内貞行(わいないさだゆき)』や『間宮林蔵』など伝記作品を多く手掛けた。43年には『葛西善蔵』を刊行、「故人の偽らざる晩年を描くこと」を念願としたこの小説は棟方志功の装丁で世に送り出された。50年冬に脳梗塞を患い療養生活に入るが、以後は左手で筆を取り随筆回覧誌の発行や俳句制作に勤(いそ)しみ、文学的な営為を放棄することはなかった。86年に刊行された句集『群青』から、苦闘と精進の生涯を送った先人への思慕(しぼ)の念を漂わせた一句を紹介し、結びとしたい。
「彼岸入り書棚に飾る酒仙像」 (主事・竹浪直人)
(平成20年2月21日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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