Vol.41 石川啄木文学碑拓本
「船に酔ひてやさしくなれる妹の眼見ゆ津軽の海を思へば」
短歌揮毫・三浦光子、拓本・工藤四代治
石川啄木(1886-1912)が妹の光子と共に津軽海峡を渡ったのは、明治40年5月5日のことであった。
当時、故郷の渋民村で小学校の代用教員をしていた啄木は、封建的な地域に対し新しい理想の教育を行おうと奮闘したが、村民や校長から反発を受ける。やがて校長排斥の学童ストライキを先導し、免職。「石をもて追はるるごとく」故郷を離れて一家は離散し、啄木は妹を連れ、小樽の姉のもとに身を寄せるため北海道へ向かった。故郷や家族を恋しく思い、前途への不安を抱えた辛い旅であった。
「海峡に進み入れば、波立ち騒ぎて船客多く酔ひつ。光子もいたく青ざめて幾度となく嘔吐を催しぬ。初めて遠き旅に出でしなれば、その心、母をや慕ふらむと、予はいといとしきを覚えつ。清心丹を飲ませなどす。」(「丁未日誌」明治40年5月5日)
荒れる海の中、船酔いに苦しむ妹を気づかい介抱する一方で、啄木は舷頭から見る絶え間ない荒波、荘厳な海原に大きく心を揺さぶられた。「噫(ああ)、誰れか、海を見て、人間の小なるを切実に感ぜざるものあらむや。我が魂の真の恋人は、唯(ただ)海のみ、と我は心は叫びつ。」――不断に動き続ける海への感動を、啄木は情熱的な筆致で綴っている。
のちに啄木がこの時の船酔いで苦しそうな妹を回想し詠んだ一首が、第一歌集『一握の砂』に収められている。
船に酔ひてやさしくなれる
いもうとの眼見ゆ
津軽の海を思へば
この短歌を刻んだ文学碑が、昭和31年5月4日、川崎むつをを中心とする青森県啄木会によって、青森市合浦公園の海浜に建てられた。短歌の文字は、啄木の妹、三浦光子本人によって揮毫されたものである。かつて啄木が失意を胸に渡った「津軽の海」を背景にして、砂浜の松の木陰に、今日も碑は佇んでいる。
(主幹・佐々木朋子)
(平成20年1月17日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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