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【青森県近代文学の名品】

Vol.39 加藤東籬和田山蘭 「蘭菊会回覧雑誌」 



蘭菊会回覧雑誌第1号「白日」
(明治42年1月)の扉
和田山蘭書(青森県立図書館蔵)
蘭菊会回覧雑誌第4号「今は春」(明治42年4月)の挿絵
加藤東籬と和田山蘭編集の夜(青森県立図書館蔵)


  大正5年3月、若山牧水は、北国への憧れと歌誌「創作」復刊の夢を抱いて青森県を訪れ、約1ヶ月滞在。北津軽郡松島村(現・五所川原市)を訪れた時の印象を、次のように書き記している。

  斯んな寂しい村落にしかもずつと以前から東籬山蘭の両君が打ち揃うて歌など作つてゐたといふことが、何だか不思議なことの様に思はれてならなかつた。(紀行文「松島村」)

  人家もまばらな松島村で、本県歌壇の先達、加藤東籬(1877〜1944)と和田山蘭(1882〜1957)の二人が新派和歌研究会〈蘭菊(らんぎく)会〉を結成したのは、明治39年1月のことである。当時、東籬は29歳で村役場に勤め、山蘭は24歳の小学校教員であった。家が近い二人は連夜歌作に励み、金子薫園の「短歌研究」の添削を受け「新潮」などの中央誌にも投稿、40年1月、その成果を「蘭菊会詩稿」第一輯としてまとめた。
  蘭菊会は、やがて会員も増え、42年1月に回覧雑誌を発行、43年12月の14号まで続いた。第一号「白日」の扉には、次のように記されている。

  蒼茫として 大なるかな詩の野― ねがはくは吾等をして おもふまゝ 歌はしめよ 叫ばしめよ

  明治30年代、本県の歌壇はいまだ旧派和歌の時代であったが、蘭菊会は、旧套を脱し、自由奔放に「詩の大野」を駆ける新しい短歌を目指したのであった。その後、県歌壇は中央歌壇の近代化の波を受けながらも独自な展開を見せていくが、それは、それぞれの時代を生きた歌人たちの「おもふまゝ 歌はしめよ 叫ばしめよ」という心の軌跡であった

(室長・櫛引洋一)

(平成19年12月27日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)