| Vol.30 「明治評論」第1号( 鳥谷部春汀「月旦」掲載)
明治時代、人物評論の第一人者として、その名を知られた鳥谷部春汀(とやべ・しゅんてい 1865〜1908)は三戸郡五戸(現五戸町)の出身である。23歳の時、東京専門学校(現早稲田大学)に進み、政治学を修めて帰郷。「毎日新聞」(現在の「毎日新聞」とは別紙)主筆・島田三郎に文才を認められ、92年に入社した。94年の夏に毎日新聞社を辞し、近衛篤麿(このえ・あつまろ)が主宰する精神社の機関誌「精神」の経営を担当。95年12月には誌名を「精神」から「明治評論」に改め、その後一年に渡り「月旦(げったん)」を連載。ちなみに「月旦」とは、後漢の許劭(きょしょう)が毎月一日(ついたち)(「旦」は一日の意)に会を開き人物を評したという故事に基づく漢語であり、人物批評を意味する。そして97年秋、博文館に招かれ「太陽」誌上で「人物月旦」の連載を開始。翌98年には「明治評論」ならびに「太陽」に発表した評論を集成し、『明治人物評論』(博文館)を出版した。その後も客観的な筆致で各界の名士の人物像を描き続け、「今日の人物評論界で殆んど専売特許の観ある太陽主筆鳥谷部春汀」(横山源之助「人物評家の変遷」)と謳われた。1908年に病のため急逝したが、翌年、博文館から『春汀全集』全3巻が刊行されている。
さて当館所蔵の「明治評論」第1号(1895年12月)であるが、この号の「月旦」で春汀は当時の内閣書記官長、伊東巳代治(いとう・みよじ)を取り上げている。上下二段組4頁にわたる人物評論だが、この文章は実際に掲載誌を手に取らなければ読むことが出来ない。『明治人物評論』、『春汀全集』いずれにおいても、収録作品中、最も時期の早いものは「明治評論」第2号(96年1月)に掲載された白根専一(しらね・せんいち)論であり、それ以前の評論は存在しないのである。「明治評論」第1号は人物評論の大家、鳥谷部春汀の出発を考える上で貴重な資料であると言えよう。なお除外された理由であるが、『明治人物評論』と『春汀全集』には「太陽」に発表された異なる伊東巳代治論(98年3月)が収められており、このことと関わりがあると見られる。来年は春汀の没後百年に当たり、その意味でも顧みられてよい言論人である。
(主事・竹浪直人)
(平成19年10月25日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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