【青森県近代文学の名品】 

Vol.2 北畠八穂 津軽弁の手紙
  「秋の津軽はよがべねし。…アヅマダケと八甲田みてし、十和田さもいきたごす。…」
 
 青森市出身の児童文学作家・北畠八穂は、25才で作家を志して青森を離れ、鎌倉で78年の生涯を終えた。故郷を愛し続けた八穂の作品にはよく津軽が登場し、津軽人への手紙は、語りかけるような見事な津軽弁で書かれた。八穂は津軽弁に強い愛着と誇りを持っていたのである。

 この手紙は、八穂が69才の時に後輩の児童文学作家・北彰介に宛てて書かれたものである。八穂は北に、児童文学は俳諧の連句のように一行ずつ展開して書いてみては、とアドバイスし、「こんみといい津軽のむかしこ」を書けと温かく励ましている。そして、「秋の津軽はよがべねし。」と、遠い津軽の秋に思いを馳せる。石坂洋次郎と津軽弁で長電話し、洋次郎に「ところどころ東京ベンがぬげねねし」と笑われたというエピソードも紹介され、ほほえましい。八穂の深い愛情と人なつっこさ、故郷に対する思いが生き生きと伝わる手紙である。

 別の手紙で「しんだら津軽の墓さ、うまりたごす」と北に書き送った八穂は、その望み通り、青森市古館にある北畠家の墓地で眠っている。

 このページは、青森県の広報「メルマガあおもり」掲載の文学館の連載と連動しています。ここでは「メルマガあおもり」には掲載されない資料写真を掲載しています。
北畠八穂書簡  北彰介宛
昭和47年10月18日付
名品コーナーへ  文学館TOPへ