【青森県近代文学の名品】

Vol.24   菊岡久利 色紙「りんご」
「昨夜窓前風雨急 良寛 残庵」
左上に白字六角印「雪上加霜」 左下に朱字八角印「残」
原稿「りんご」

 菊岡久利(きくおかくり1909−70)の葬儀委員長を務めた川端康成はその挨拶で「非常に多芸、多才、又、多能」と菊岡久利を紹介している。10代の時から詩を発表していたが、処女詩集『貧時交』は昭和11年の出版で、以後一貫して貧しい生活者の視点で詩作した。また目利きとして知られ、楽家三代「ノンコウ」を主人公にした小説がある。戦中戦後にかけて幸田露伴の「五重塔」などの映画製作も行った。また戯曲も手がけバレエの台本「プロメテの火」は振付江口隆哉、音楽伊福部昭で昭和25年帝国劇場で上演された。さらに幼い頃から絵もよくした。中村善策や鳥海青児、朝井閑右衛門等と深く交わり、晩年は絵に専念、昭和45年2月有楽町のギャラリーアートで「菊岡久利画心展」を開催し、これからというとき、同年4月心筋梗塞に倒れた。
 菊岡久利の名は師事した横光利一から与えられたペンネーム、菊池寛、岡鬼太郎、久米正雄、横光利一からそれぞれ一字ずつ取ったものだという。本名は高木陸奥男(みちのくお)、弘前生れである。
 ここに紹介する色紙と原稿は密接に関連する2点である。両者に良寛の同じ一節が書かれていることから、原稿にある「リンゴの國におくる絵」というのは、この色紙に間違いないであろう。ただこの漢詩は全集などにはなく、良寛の里美術館所蔵の短冊に書かれた七言の対句「昨夜窓前風雨悪(急) 推倒和根海棠花」から取られている。何故久利がこの漢詩をリンゴの絵と原稿に添えたのか。またこの原稿が何のために書かれたのか。いずれも不明である。文意から見て青森の雑誌か新聞のために書いたものと思われるが、まだ調査がすんでいない。おびただしい肩書を持っていた久利だが、原稿に書かれている「二科会理論部会員」もお気に入りの一つだったのだろう。「残庵」は終の棲家となった鎌倉の住居の庵号である。

(館長・黒岩恭介)

(平成19年9月6日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)

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