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寺山修司は1935年12月10日に生まれた(83年没)。しかし戸籍上は翌年1月の生まれということになっている。このタイムラグについて寺山の母は「走っている汽車のなかで生まれたから」と冗談めかして答え、寺山自身この個人的な伝説に執着するようになったと『誰か故郷を想はざる』で振り返っている。手掛けたジャンルは短歌、俳句、詩、小説、戯曲、映画、評論と多岐にわたり、自ら「職業は寺山修司」と公言して憚らなかった。既に没後24年が経過しているが、活動の幅広さと執筆量の膨大さから、未だに全集が編まれていない作家である。
「血がつめたい鉄道ならば」で書き出された当館所蔵の色紙は、「あゝ、荒野」よりと結ばれている。65年発表の「あゝ、荒野」(月刊「現代の眼」連載)は、バリカン建二と新宿新次の二人を軸に、都市という名の荒野に生きる人々の姿を描いた長編小説である。しかし不思議なことに、色紙に書かれた一節はこの小説には登場しない。このフレーズは実は、66年に発表された長篇詩「ロング・グッドバイ」の冒頭部分なのである。のちに現代詩文庫『寺山修司詩集』(72年、思潮社)に収められた詩であるが、その際大幅に改変され、冒頭も「血があつい鉄道ならば」に改められた。
おそらく思い入れのある作品であった筈なのに、寺山はなぜ色紙に「ロング・グッドバイ」よりと記さなかったのか。他団体を経て当館所蔵となった資料であり、書かれた時期も経緯も不明である。その真意は謎だが、単に作品に付随するのではなく、新たなイメージや広がりを持ったものとして色紙を造形しようとする寺山流の虚構だったのかもしれない。
(主事・竹浪直人)
(平成19年7月26日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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