青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成18年度 調査員報告

鳴海弘子 調査報告

調査対象石黒英一 いしぐろ えいいち
プロフィル黒石の北山六智夫主宰「黒石文学会」の文芸誌「桃」の第2号に初めて詩を発表。以来、詩の創作は現在も続いており、60年の長きにわたる。
生没年1926(大正15)年3月26日-
主な作品詩集『亡羊の歌』(昭和44年11月10日発刊)『石黒英一詩集』(昭和62年3月20日発刊、近文社「日本詩人叢書26」)
青森との関わり黒石市生まれ。現弘前市在住。戦後若い頃から詩作。若い頃の、屋台を引きながらの創作活動を経て、現在に至る。
作家解説  大正15年3月26日、黒石市ぐみの木に生まれる。石黒家をたどれば秋田雨雀にもつながっている。詩との出会いは17歳の時である。この頃居は弘前の叔母の家で、召集される昭和19年12月まで住む。弘前在住のとき、弘前青年学校で学ぶ。一戸謙三が講師で、「日本近代詩抄」の題で週1回の講義を受ける。これが詩との出会いである。上田敏、蒲原有明、薄田泣菫ら明治後期象徴詩の錚々たる人たちの話がのっているテキストで、この時はまだ詩を作ってはいないが、後の60年の長きにわたる詩作活動の火種をもらうことになる。
  終戦を神奈川で迎え、黒石に帰る。詩の創作活動は戦後から始まる。当時黒石の北山六智夫が「黒石文学会」を主宰。昭和23年2月同会で文芸誌「桃」を創刊する。その2号に詩「遺身骸」を発表したのが最初である。以来詩作は現在に及んでいる。
  現在詩誌「風」の同人である。この「風」はいろいろな同人誌の形をとりながら、今の「風」になっている。この詩誌につながる流れの源はふるい。それは同時に石黒英一の詩歴とも重なる。以下その経緯を簡潔に記す。
  昭和21年8月黒石で詩誌「椹(さわら)」が発刊。粗末なワラ半紙に手刷りの謄写版。同人である。その後資金難で、昭和26年第27号で休刊。ただし、黒石で書店を開業していた竹内二郎の援助で活動は続けていた。この「椹」の流を受けて、昭和29年2月「ぱんせ」発刊。これ以降資金難で休刊廃刊を繰り返しながらも「寓話」(昭和31年2月発刊)、「鰈」(昭和38年6月発刊)。「いかろす」(昭和46年発刊)、そして現在の「風」(昭和48年10月発刊)へと続くのである。「椹」発刊時から現在の「風」に至るまで、現役で創作しているのは、石黒英一、藤田勇三郎らである。
  半世紀以上の創作歴を持つ石黒英一の詩集は次のとおりである。
  『亡羊の歌』(昭和44年11月10日発刊 )同詩集後記に詩誌「鰈」、「偽画」に発表した中から34編所収とある。フランス装丁の洒落た詩集である。
  『石黒英一詩集』(昭和62年3月30日発刊)近文社から「日本詩人叢書26」として出されている。