青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成18年度 調査員報告

鎌田紳爾 調査報告

調査対象畠山千代子 はたけやま ちよこ
プロフィル 昭和初期、弘前女学校に奉職した英語教師畠山千代子の英詩が、英国の雑誌に紹介され永らく幻の日本人女性詩人といわれていたが40余年を経てその全貌が明らかになった。
生没年1902(明治35)年11月13日〜1982(昭和57)年1月26 日
主な作品英詩「馬鹿」「小鳥の独白」 日本語による詩「隻手への挽歌」
青森との関わり 英国で紹介された英詩を書いた約10年を弘前女学校(現・弘前学院中学聖愛高等学校)の英語教師として勤めた。
作家解説  畠山千代子は明治35年11月13日、父常治、母すゑをの次女として宮城県登米郡中田町に生まれる。畠山家は養蚕業を営む篤農家で、千代子が8歳のとき、縁側から転倒して利き腕の右腕を骨折。その怪我が元で切断するという悲劇に見舞われる。
  大正4年、千代子は宮城女学校(現・宮城学院)高等女子部への入学。大正9年に同校英文学専攻科へ進学。その後、同校を卒業した千代子は、大正15年4月に弘前女学校(現・弘前学院聖愛中学高等学校)に英語教師として赴任した。
  その頃、20世紀初頭に活躍した英国の著名な評論家・詩人のウイリアム・エンプソンが来日。昭和7年頃から千代子との文通が始まり英詩の添削指導を受ける。
  同年7月8日にエンプソンは英国に帰国するが、2人の文通はしばらくの間続き、英国のエンプソンからの手紙で、千代子の「馬鹿」という詩が“The Fool”として英BBCの『聴取者』誌に掲載される。また「小鳥の獨白」も昭和11年8月5日発行の同誌に“The Small Bird to the Big”というタイトルで「C.Hatakayamaの作品をエンプソンが翻訳」と註が付され掲載されたことを知らされる。
  しかし、エンプソンから、母国語でない言語で詩を書くことの困難さを説かれ、それ以降英詩を書くことを断念したが、弘前女学校時代に始めた日本語による詩作は生涯にわたり続けられ、傑作 「隻手への挽歌」(隻手とは片腕のこと)などを残した。
  千代子の詩は激情を秘めつつ、困難に立ち向かいながらも幸福感と感謝に溢れ、深い祈りと詩情を湛えている。
  昭和12年、結核を患い弘前女学校を退職するが、弘前女学校に奉職した約10年間を千代子自身は「天国の10年間」と呼んだ。また一節には、石坂洋次郎の『若い人』の橋本先生は千代子がモデルともいわれている。
  戦後は郷里で教鞭を執り、昭和57年1月26日、実家にて永眠(享年79歳)。
関連資料『隻手への挽歌』

図書、2005(平成17)年12月25日、190o×135o

畠山千代子の没後23年、千代子の姪畠山菜穂子と研究者の齋藤智香子が編集した作品集(詩集と随筆)で、この本によって戦前に英国の高名な評論家・詩人のエンプソンが、その才能を認め賞賛し、長らく幻の日本女性詩人だったC.Hatakayamaの英詩と晩年の「隻手への挽歌」までの全容が明らかになった。