子規と紅緑 − 子規の実作指導を通して −
復本一郎
佐藤紅緑の著作の一つに明治三十七年(一九〇四)三月一日発行の『俳諧紅緑子』(有朋館)がある。時に、紅緑、数え年、三十一歳。子規は、二年前の明治三十五年九月十九日、三十六歳で没している。『俳諧紅緑子』、縦十五・一センチ、横十一センチ、ほぼ今日の文庫本大の大きさ。その大部分は、子規より批点を受けた紅緑句の活字化に当てられ、他は「子規翁終焉後記」「秋雨かたり」「紅緑漫筆」といった子規追慕のエッセイ、それに「俳句の色彩」「芭蕉の人生観」の二篇が添えられている。紅緑としては、子規三回忌追善の思いを込めて出版したのではないかと思われる。
今、注目したいのは、「俳三年」と題されている子規批点の紅緑句群。明治二十九年(一八九六)の「岩百句」よりはじまって、明治三十一年(一八九八)の「かりがね集」に至るまでの十六作品群。それらの中には、批点のみならず、子規が添削(評言)を加えた紅緑作品も散見され、具体的な作品指導を通しての子規の俳諧観が
新壁 に山水天狗 の夏書 かな(規)夏書を
五月雨 とすべし
明治二十九年(一八九六)の「下宿屋二十句」と題する中の一句。「新壁」は塗り立ての壁。「山水天狗」は、天狗の画の悪戯(いたずら)書き。子規は、その悪戯書きを「
半 ば截 て紙を張たる西瓜哉 (規)把栗の句に薄紙をぺたりと張りたる西瓜哉といへるあり
これも明治二十九年の「秋季百吟」と題する中の一句。「類句」への警告である。子規は「類句」には厳しかった。「把栗」は、子規門の俳人福田
日にあたる
黄楊 の木は先 づ落葉 せし(規)黄楊は
常磐木 ならずや
同じく明治二十九年の「冬季雑吟」九十七句中の一句。子規は、事実か否かということに対しても、厳しい態度で指導していた。その一端が窺える添削例。「落葉」は、冬の季題(子規自身は「四季の題目」なる言葉を用いていた)であるが、「
(ふくもと いちろう・神奈川大学教授)