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「生誕110年―淡谷悠蔵展」資料紹介  (1)雑誌「黎明」



「黎明」創刊号(大正8年7月)
(青森市教育委員会蔵)
「黎明」創刊の頃(大正8年頃前列右2人目より高田螢汀、和田山蘭、林征次郎、
中列右より4人目船水公明、後列右より1人目三上智成、5人目淡谷悠蔵


 淡谷悠蔵(1897〜1995・青森市出身)の文学の出発点は短歌であった。
 少年時代から本を読むことに熱中し、学問への憧れを持ちながら、「商人の子に学問はいらない」との家の方針で、高等小学校卒業後は実家の呉服屋で働く。友人の誘いで短歌を始め、高田螢汀主宰「はまなす」、若山牧水主宰「創作」に作品を発表する。東京の大学へ行く夢をあきらめ、心ならずも商人として生きる寂しさや悲しみを淡谷はうたった。

    いかにせばあのやうに声高らかに笑ふことわれに出来得べきかや
    ろくろくに本も読まれぬ忙しさを悲しみにつゝ月夜を帰る
    『逃げて来た』と云へばしばらく顔を見てやがて静にうなづきし友

 大正7年春、21才の淡谷は家を飛び出し、郊外の新城村(現・青森市)で農業を始める決意をする。憧れていた徳冨蘆花やトルストイのように、野を耕しながら自然の中で文学に親しむ生活を目指した。生活は厳しかったが、やがて淡谷のもとには文学の仲間が集い、武者小路実篤や若山牧水などの文人もここを訪れた。
 大正8年7月、県内の短歌雑誌「独白」「樹焔」「素描」の三誌が合同し短歌雑誌「黎明」が創刊、加藤東籬・高田螢汀・淡谷悠蔵・三上智成・船水公明らの同人が名を連ねた。創刊号掲載の「三社合併の言葉」は淡谷悠蔵が筆を執ったものである。

 「吾等はあらゆる生活、あらゆる自然の姿に力強く脈打つ芸術的感激の喜を知る。かくして歌ひ合せ、悲しみ合ひ喜び合はんとするのが吾等の詩社である。(中略)吾等は中央文壇の恩恵薄き地に住み、芸術的欲求を自由に伸展表現すべき機関に乏しきものである。吾等と等しき悩み等しきかなしみを持てる友の多くひそめるを信じてこれ等伸び得ざる芽の為、燃え上り得ぬ炎の為、一掬の水、一滴の油をそゝぐことが出来るならば喜びと思ふのである。」

  「黎明」は文学の主義主張にこだわらず門戸を開放し、やがて短歌雑誌から総合文芸誌に発展していった。淡谷はその中心となって編集を担当、短歌・小説・評論等を毎号のように発表した。口語歌や三行書き短歌、評論「郷土芸術論」等も書いている。
 今回の企画展では、淡谷が生前所蔵していた「黎明」創刊号を始め11冊を展示している。新城の淡谷宅「黎明草舎」は昭和12年に火災に遭い、当時の蔵書は失われたが、焼け残ったり同人から集まったりして全冊が揃ったと思われる。大正期の県内文壇を知る上での稀少な資料である。
 淡谷のもとには、火災を逃れた「黎明」の原稿が奇跡的に残っていた。昭和3年11月の「若山牧水・越前翠村追悼号」に寄せた和田山蘭らの原稿である。焼け焦げた跡を残しながら、火災を逃れ、年月を経て保存されてきたこの資料が、現在私達の目の前にあることに、不思議な縁を感じる。多くの人の手によって今日まで残された資料である。

(主幹・佐々木朋子)

(平成19年11月5日付・「東奥日報」掲載)