特別展「寺山修司展」閉幕
―その人生は常に前衛であった―
開会式テープカット 展示会場
| 特別展「寺山修司展」が平成十五年十月三日(金)から十一月九日(日)まで開催されました。開会式には寺山修司夫人であった、人力飛行機舎代表の九條今日子さんもわざわざ東京から駆けつけ、九條さん、寺山孝四郎寺山修司記念館館長、金子睦男青森県立図書館副館長の三人によるテープカットで特別展がスタートしました。 この特別展は、昭和二十年代の終わり頃から五十年代にかけて、まさに時代の寵児として活躍した寺山修司の没後二十年を記念して開催されたものです。昭和十年に弘前で生まれた寺山修司は、中学、高校時代から文集や同人誌を編集、発行して活発な文学活動を展開し、早稲田大学に入学した年に、十九歳の若さで短歌研究新人賞を受賞しました。その後、四十七歳で「完全な死体」となるまで、俳句、短歌、詩、映画、演劇、小説、評論、作詞、写真など、「職業は寺山修司」と自ら宣言するほど、多彩なジャンルを疾走し続けました。今回の特別展では、三沢市の寺山修司記念館や九條今日子さんのほか、生前の寺山修司と交流のあった方々などからから多大なご協力をいただき、人生そのものが前衛的であったといわれる寺山修司の、その独特な「テラヤマ・ワールド」を紹介することができました。今回初公開となった寺山修司が高校一年の時に作った自筆歌集「咲耶姫(さくやひめ)」をはじめ、中学校時代の自筆回覧雑誌「二故郷」、高校時代に発行していた俳句の同人雑誌「山彦」など、約三百点におよぶ展示資料はどれも来館者の興味をひいたのではないかと思います。 寺山修司の人気はさすがに高く、今回の特別展では、遠く香港在住の方や、県外からもたくさんの来館者が訪れました。また、地元の青森山田高校から約三百名、弘前中央高校文芸部の生徒たち、井上諭一教授と共に来館した弘前学院大学の学生たちなど、若い見学者が目立ったことも、この特別展の大きな特徴でした。 |
![]() |
| 会場を見学する青森山田高校生徒 |
| 【文学講座】 特別展「寺山修司展」に関連して、十月十二日(日)と十一月二日(日)の両日、青森県総合社会教育センターで文学講座が開かれました。講師は十月十二日が青森県近代文学館評議委員の工藤英寿氏と青森ペンクラブ会長の三上強二氏、十一月二日が寺山修司記念館館長の寺山孝四郎氏と俳誌「暖鳥」主宰の新谷ひろし氏でした。講師の先生方は、みなさんが生前の寺山修司をよく知っている方ばかりなので、ときどき笑いを誘いながらの、楽しい文学講座になりました。 |
![]() |
| 工藤英寿氏 |
特別展「寺山修司展」記念講演会開催
「寺山修司の人と文学」
| 十月二十六日、特別展「寺山修司展」を記念して、青森県総合社会教育センターを会場に、記念講演会が開催されました。講師は弘前市出身の文芸評論家、三浦雅士氏です。 「寺山修司――鏡のなかの言葉」という著書もある三浦氏は、詩誌「ユリイカ」編集長として、寺山修司の才能をいち早く認め、その活動を側面から支えました。また、寺山亡き後も長年にわたって「寺山修司祭」の開催に関わってこられ、寺山を語るにはもっともふさわしい講師です。この講演会は昨年に引き続き、「青森県読書推進大会」の講演会と共同開催ということで、大会参加者も含め大勢の観客が会場に詰めかけました。 講演の内容は、1974年に初めて寺山修司に会い、すぐに意気投合した思い出からはじまり、寺山の俳句・短歌における虚構についての文学的な意味、演劇・映画で見せた寺山独特の表現世界の魅力、もし寺山が生きていればその行き着く先は「ダンス」であったに違いないという自説の披露、青森という風土と寺山の関係など、まさに縦横無尽にテラヤマワールドを駆けめぐるものでした。寺山修司のしたことが歴史的・世界的に重要なことであり、正しい研究と評価が必要だと力説した三浦氏の講演は、思わず演台を前へ押し出すほど熱の入ったもので、その熱意は観客にも伝わり、めったに体験することのできない、素晴らしい講演会になりました。 |
![]() |
| 三浦雅士氏 |