青森県近代文学館
The Museum of Modern Aomori Literature



平成19年度 調査員報告

佐藤幸子 調査報告

調査対象佐々木とみ子 ささき とみこ
プロフィル俳人。「小熊座」俳句会同人。同人誌「黒艦隊」創刊同人。「埠頭」創刊同人。編集人、代表をつとめ平成18年解散。現代俳句協会会員。NHK学園俳句講師。
生没年1932(昭和7)年1月1日-
主な作品句集『まんどろ』
青森との関わり青森市浦町字橋本に生まれる。学生時代「暖鳥」同人宮川翠雨から俳句指導を受け、成田千空を生涯の師と仰ぐ。
作家解説   本名は富子。昭和24年県立青森高等女学校卒業。在学中から「暖鳥」同人宮川翠雨、佐藤正夫の指導を受け、26年青森俳句会「暖鳥」へ入会したが29年結婚を期に中断。「暖鳥」は当時県下では数少ない同人誌で、吹田孤蓬を代表に昭和21年10月に創設された気鋭の結社である。句作の原点は青森空襲で亡くなった11歳の弟の死であった。「初茄子を供ぐおとうとの一年忌」昭和21年7月の作品である。「暖鳥」の流れは成長し、寺山修司、京武久美らの異才を輩出。佐々木とみ子にとって短期間ではあったが生涯を決定づける影響を与えることになる。母の介護、子育て、夫の病死など困難な時も俳句は捨てきれず、30年余の中断の後、昭和60年主宰誌「小熊座」を創刊した佐藤鬼房に師事する。鬼房は西東三鬼の流れを汲み、新興俳句生えぬきの作家と称され、現代俳句の先駆を担い、また貧しく不遇な生活や戦争体験から人間性の回復、詩性の回復を念じつづけた。「縄とびの寒暮いたみし馬車通る」の句にひき寄せられ、鬼房門を叩き、平成14年死去まで師事。没後受け継いだ高野ムツオ主宰のもと「小熊座」同人として在籍する。平成3年同人誌「埠頭」創刊。徳才子青良、蝦名石蔵らと共に自由な創意の実作、評論と編集の充実をはかり、小誌ながら全国的に知られるようになる。平成8年同人誌「黒艦隊」創刊、徳才子青良、橘川まもるらと共に結成。同人11名。自在な俳句を核としてスタート。特筆すべきはシルクロードへの旅の作品群である。篠山紀信の一連の写真から端を発したこの旅は、この作家の年一度の「中国・中東吟行」となる。そこで失われたものを発見し、苦しみの中で働く人々、民俗の悲しみと美しい生きざまに心打たれる。平成18年7月第一句集『まんどろ』出版。平成19年7月『まんどろ』が「第3回青森文芸賞」を受賞。生涯の師成田千空は「虚実の表現に詩を見出し、俳句の類想を寄せつけない芯の強さがある」と感想を述べている。(「文芸あおもり」第154号−特集戦後青森県の文学状況−」)
(以上、平成20年3月現在)
 
関連資料『まんどろ』 第一句集 津軽書房刊

図書、2006(平成18)年7月25日、縦215o×横135o

『まんどろ』は作者の第一句集であり、題名は詩人高木恭造の方言詩集『まるめろ』の一編から採った言葉である。作者によると「まんどろ」は津軽の方言で「この上なく明るい」という意味だという。「生と死」のはざまを凝視した作品が収められている。