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【青森県近代文学の名品】 |
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| Vol.8 福士幸次郎 書幅「越後の山越中の山雪肌に燿(かがよ)ふ見たり黒部高原」 |
福士幸次郎は、明治22年弘前市に生まれた。上京し、大正3年、第一詩集『太陽の子』を自費出版したがほとんど売れなかった。しかし、その口語自由詩は詩壇に先駆け、萩原朔太郎をして後に「『太陽の子』の暗示なしに、僕の『月に吠える』は無かった」と言わしめた。また、青森県初の詩の結社「パストラル詩社」の指導に当たるなど郷里の後進の指導にも取り組んだ。大正12年、関東大震災に遭い帰郷、〈地方主義運動〉を始める。この間、東奥義塾高校の教員や、青森日報の主筆を務め、今官一や高木恭造、一戸謙三等に大きな影響を与えている。高木恭造の方言詩集『まるめろ』は、この出会いにより生まれた。 書幅 地方主義を主張した福士幸次郎は、その後〈古代研究〉に情熱を傾けるようになる。越後には、信越国境を流れる姫川流域の上代史の研究のために訪れている。書幅「越後の山越中の山雪肌に燿ふ見たり黒部高原」は、幸次郎が古代研究に情熱を傾け、全国を踏査した時代を詠んだ作品である。古代研究の成果は『原日本考』『原日本考続篇』(昭和17年、18年)にまとめられた。この書幅は、現在、青森県近代文学館・常設展示室で展示している。
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このページは、青森県の広報「メルマガあおもり」掲載の文学館の連載と連動しています。ここでは「メルマガあおもり」には掲載されない資料写真を掲載しています。 |
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