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【青森県近代文学の名品】

Vol.73  福士幸次郎・色紙「二十四歳の感傷『別離』」

わかれて後は
永く哀憐の涙をこぼす

わかれ路には
うまごやしが咲いてゐた

その花のおもかげは
黒い頭巾をかぶつた尼の影

日が曇ればそのあたり
灰色な霰がしづかに走り

日が照れば目に見えず
きのふの雪は消えてゆく

 二つ折の色紙に記されたこの詩には、「二十四才の感傷『別離』」という題名が添えられている。福士幸次郎(1889-1946)の第二詩集『展望』(大正九年六月刊)に、「哀憐(あいれん』)」という題名で収められている詩である。(表記等の異同あり。)「うまごやし」は春の季語、クローバーに似た小さな黄色い花をつける牧草。別離について多くを語らず、淡々と風景を描くなかに、静かに哀憐の情が伝わる抒情詩である。

 明治四十二年から詩作を始めた福士幸次郎は、大正三年、第一詩集『太陽の子』を刊行し、口語自由詩の開拓者として注目された。「哀憐」は大正元年十一月作。『太陽の子』の詩群と同時代に作られたが、素朴で自由な調子の「鍛冶屋のポカンさん」(明治四十五年作)や、情熱的な「私は太陽の子である」(大正二年作)等の代表作とはまた違う魅力を持っている。

 今官一は『詩人福士幸次郎』の中で、この「哀憐」の詩を福士に朗誦してもらった時のことを回想している。今は、大正十四年に福士が東奥義塾の国漢文教師として赴任した時の教え子の一人であった。文学の会を作って勉強したい、と教えを請う今たちを福士は西洋料理店「パリスタ」に誘い、「わらはど」という雑誌を作りなさい、と助言する。「わらはどは、人生のひこばえだ。文学の新らしい芽が、このなかから生まれる……」そして福士は「乾杯の歌」を歌い、つづけて自作詩「哀憐」を暗誦する。

 「作者自身の口から、直接に、胸に呼びかけてくる、このなまな文学には、息の止まるような感動があった。私たちは、詩≠、活字ではなしに『見た』のである。詩人と詩が、私たちと向きあって、ビールをのんでいるのだという、このなまな芸術の交感に、あ然として自失したのであった。」

 今はこの詩を「三十七歳の先生が、若い私たちの人生と文学への門出に贈られた、はなむけの、最初の花束」と受け止めた。やがて作家となり、生涯福士を敬愛した今官一にとって、この詩は特別な一編だったのである。

(主幹・佐々木朋子)

(平成20年9月4日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)