| Vol.71 小山正孝 詩集『雪つぶて』
日露戦争開戦の1904(明治37)年、島崎藤村の詩集『若菜集』に大きな影響を受けた本県の詩人・秋田雨雀と鳴海要吉は、それぞれ新体詩集『黎明(れいめい)』と『乳涙集(にゅうるいしゅう)』を刊行した。この年の6月30日、南津軽郡大鰐村(現・大鰐町)で代用教員をしていた鳴海要吉に藤村が宛てた書簡に次のような一節がある。「大鰐とは恐しい名のところへ御滞在、しかし定めしおもしろいながめのところと想像されます。(中略)秋田さんといふ方の詩集も一昨日届きました。」
「秋田さんといふ方の詩集」は、先の『黎明』を指すが、興味を引かれるのは、藤村が想像した「恐しい名のところ」大鰐の「おもしろいながめ」とはどのようなものであったのかということである。しかし、実際の大鰐は、小高い丘や山に囲まれた風情のある穏やかな温泉地で、街を流れる平川の川沿いを歩くとせせらぎの音が聞こえてくる。
「ある旅館で夜をすごした。枕の下を水が流れているように、夜中も川の音がした。僕は、ふと考えた。川の音がするように石を並べたのではあるまいか。夜中に目を覚ました人間が、音に耳を傾け、流れの音の中に来し方行く末を考えるように工夫されているのではあるまいか。夜の街を歩いて橋を渡つた時に、月が工夫されて計画にしたがつてのように山の端から突き出た。」
東京出身の詩人・小山正孝(おやままさたか、1916〜2002)の文章「大鰐 石川 穴の話」の一節である。行きずりの若き詩人の感性は、町の人が日々漫然と聞き流している瀬音を詩的にとらえ表現した。
小山正孝は、1936(昭和11)年4月に旧制弘前高等学校文科乙類に入学、39年に東京帝国大学文学部に進学するまでの3年間を弘前で過ごしている。その体験をもとに書いた小説「紙漉(かみすき)町」「遅花」「晩秋の回想」(雑誌『阿房』に発表)等に、揺れ動く青年の心をとおして、日中戦争下の津軽の暮らし・風俗を映し出している。
現在青森県近代文学館で開催中の特別展「青森県近代詩のあゆみ」では、敗戦後の恢復(かいふく)期に刊行された小山の第一詩集『雪つぶて』(昭和21年6月・赤坂書店)を展示している。所収の詩「折にふれて 2」には、大鰐の平川の情景が次のように描かれている。
「大鰐で すごした 一夜の事は おぼえてゐるでせう/僕は ふいと 一人で 出かけたでせう/あの時から あなたを 憎みました/夜ふけでした 僕は 橋に立つて/赤や 緑の 電燈の うつるのを見つめ/さざ波の しづかな音を ききながら/白い 紙を ちぎりました/口惜しかつたのです/闇の中に 雪のやうに ちらちら 紙は 落ちて行きました/心を静めて かへりました」
(室長・櫛引洋一)
(平成20年8月14日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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