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【青森県近代文学の名品】

Vol.70  柳田泉 『明治初期の翻訳文学』(署名入り)

 柳田泉は1894年、中津軽郡豊田(とよだ)村(現弘前市)外崎(とのさき)の地で農家の六男として誕生した。数え11歳のとき青森市で暮らす叔母に引き取られたが、程なく叔母夫婦は黒石町(現黒石市)に移転、この地で泉は尋常小学校を卒業した。1905年、生家に戻り玉成(ぎょくせい)高等小学校に入学。読書好きの祖母の使いで親類の貸本屋に足繁(しげ)く通い、自らも借り受けた本を精読する生活が続いた。9年には東奥義塾に入学、藩校・稽古館以来の蔵書を有し、市立図書館にも隣接した好環境で泉は一層読書に没頭した。その後、東奥義塾校舎は工業学校に転用されることとなり、泉は11年に青森中学に転校している。

  14年、早稲田大学文学科高等予科に入学、本科では英文学を専攻し、長谷川天溪(てんけい)、波多野精一の薫陶を受けた。18年に卒業し、大日本文明協会の編輯(へんしゅう)部に入り、初めて翻訳の仕事に携わった。19年、同協会を辞し早稲田中学の教諭となるが半年で辞職、以後は翻訳に力を注ぎ、22年から『カーライル全集』(春秋社、9巻まで刊行されたが未完)を手掛けた。23年9月、関東大震災に遭遇、膨大な量の文献が灰燼(かいじん)と化したことに衝撃を受け、明治文学研究を志す機縁となる。24年には吉野作造が主宰する明治文化研究会に参加、後年、機関雑誌「明治文化研究」に多くの論文を発表している。27年、東京帝国大学に明治新聞雑誌文庫が創設された際には、司書の宮武外骨(がいこつ)から整理を手伝うことを条件に調査の自由を許され、その後4年半に渡って通い詰めた。35年2月、明治文学叢刊第1巻として『明治初期の翻訳文学』(松柏館書店)を刊行、この巻のみ著者署名入りで限定1千部という出版形態が取られた。このうちの1冊を当館では所蔵しており、扉の頁(ぺーじ)に「蜩c泉」の署名を見ることができる。

  ちなみに、この明治文学叢刊のシリーズは時局に阻まれ、第4巻『政治小説研究 下巻』(39年)を以て刊行中絶となる。45年には戦災によって蔵書1万5千冊を失うが、戦後再び精力的に著書を出版。60年には新たに明治文学研究第1巻として『若き坪内逍遙』(春秋社)を刊行した。その後、泉はシリーズ刊行途中の69年に75歳で逝去(せいきょ)。全11巻の構想は実現されなかったものの、その業績は残された明治文学研究9巻によって今日なお顧みることが可能である。

(主事・竹浪直人)

(平成20年8月7日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)