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【青森県近代文学の名品】

Vol.67  高木恭造 旧満州からのハガキ 

  くらい風に光るものよ
  苦しみは水のしはぶき
  梢にもらす告の言葉
  雲の影 匍ひよるけはひ

  青森市出身の詩人・高木恭造(1903〜1987)の詩「鴉の裔(すえ)」の冒頭である。韻を踏んだ十二音の四行詩で構成する定型詩で、〈聯(れん)〉と呼ばれる。愛知県の詩人・佐藤一英(いちえい)(1899〜1979)が創始した。
  高木は、旧満州の本渓湖から昭和13年9月18日付で、「鴉の裔」を書いたハガキを弘前の詩人・一戸謙三(1899〜1979)に送り、次のように書いている。「出来上がるに一ヶ月以上もかゝりました。稍々会心のものです。こういふものをもう少し書いてみたいと思つてゐます。」
  高木恭造35歳。本渓湖満鉄病院眼耳科医長の職にあり、8月に長男の淳(あつし)が誕生したばかりであった。後に淳は、高木が複雑な家族環境が嫌で満州にわたった経緯をふまえ、「鴉の裔」について「暗い運命の血の中に自らを浮かべ、苦悩をなめ、呵責を受けながら情熱を刺激して創った詩」と解説している(『瀋陽からの手紙』)。

  このハガキを含め、昭和6年から20年にかけて満州の高木恭造から弘前の一戸謙三に送られた手紙137通(6年京都、16年京都、21年弘前、22年尾上からの手紙を含む)は一戸が大切に保管し、高木が満州から引き揚げ帰郷してから返却された。その手紙は、高木の長男淳の手によって、平成4年9月『瀋陽からの手紙』(北の街社)として刊行された。
  ところで、高木は「鴉の裔」を昭和13年11月に満州の同人雑誌「作文」に発表。翌年5月、これを表題とした詩集『鴉の裔』を刊行し、第一回満州文話会作品賞を受賞している。その詩集の扉には、「畏友 一戸謙三氏に」と書かれてある。 

(室長・櫛引洋一)

(平成20年7月17日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)