【青森県近代文学の名品】

Vol.65 詩誌「芝生」 

 方言詩誌「芝生(カガワラ)」は、1935(昭和10)年2月に創刊された。文庫本ほどの大きさで十数ページの小冊子、表紙には「津軽弁の詩の本コ」と記された、素朴でかわいらしい装幀である。
 1933(昭和8)年頃から方言詩を書き始めていた植木曜介、その良き理解者であり、自らもこの時期「津軽エスプリ運動」(地方主義文学運動)と称して、方言詩集『茨(バラ)の花コ』などを次々発表していた一戸謙三、そして一戸の教え子で、詩誌「蒼穹」等を発行していた小枝九郎。この時期、三人は弘前の喫茶店「万茶ン」や「佐々木菓子店」にしばしば集い、詩について語り合った。一戸の薫陶を受けた植木と小枝は同人誌発行を計画、やがて一戸が名付け親となり、「芝生(カガワラ)」が誕生する。
 「はえ、ごぎんぎょ!こんど、おら(、、)だづアこした本コごと、出すえねなれした。」
 第一号巻頭の「口上」(一戸謙三が担当)は、のんびりと温かい津軽弁で読者に語りかけた。―言いたいこともあるがここでは語らない、とにかく読んで、笑って、自分達が何故こんな本を出したのか考えてほしい―。この「口上」に続き、植木「謎(ナンジョ)」一戸「相(ダガサ)床(ネコ)」小枝「ベゴコ」等、十人の同人の津軽方言詩が掲載された。  日中戦争による動員等の事情により四号で休刊するが、1942(昭和17)年4月に再刊され、新たに日幌草太(ひほろそうた)、木村助男(きむらすけお)らの詩人が加わった。多くは、「月刊東奥」方言詩欄や弘前市立青年学校で一戸の指導を受けた者たちだった。  この頃には「芝生(カガワラ)」は慰問袋に入れて戦地の青森県出身の兵士に送られるようになり、好評を博して部数を五百部まで増やしたが、出版統制のため十一月で終刊となった。

首縊(カガ)りす気なて
縄コ吊た木小屋の梁も
そのまンまであた。
その柱さ凭れで
郭公鳥バ聞いでいだ。
あの頃の気持コだけネ
苑(ツボ)で合歓の花コも咲いでゐだ。
    (植木曜介「帰郷」・第八輯掲載)
 方言詩でなければ表現できない、なつかしさ、ほろ苦さ、せつなさ、まっすぐな感情が、「芝生(カガワラ)」の詩からは伝わってくる。全十号と短い活動ではあったが、この県内初の方言詩誌「芝生(カガワラ)」の存在は、県内における方言詩隆盛の足跡を、たしかに示すものである。

(主幹・佐々木朋子)
(平成20年07月03日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)

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「津軽弁の詩の本コ 芝生(カガワラ)」第1号(昭和10年2月15日・弘前かがわら社刊行)


表紙・一戸謙三「相(ダガサ)床(ネコ)」
植木曜介「謎(ナンジョ)」