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【青森県近代文学の名品】

Vol.47 徳冨蘆花書簡 安田秀次郎


  1911(明治44)年、幸徳秋水らが大逆事件で処刑された。知識人たちが口を閉ざす中、徳冨蘆花(1868~1927・熊本県)が公然と死刑執行に異を唱えたことは知られている。桂首相宛の書状「桂侯爵へ」、東京朝日新聞社主筆・池辺三山に託した公開直訴状「天皇陛下に願ひ奉る」、第一高等学校における被告弁護の講演「謀反論」……。これらが行われたのは、1911(明治44)年の1月から2月にかけてのことである。
  その前年の1910(明治43)年10 月、蘆花は青森県を訪れている。夫人と養女を連れた北海道旅行の帰途、蘆花は弘前から板柳の歌人・安田秀次郎宅に向かった。その時の様子が、随筆「津軽」(『みみずのたはこと』所収)に次のように描かれている。

  「青森に一夜明して、十月六日の朝弘前に往つた。(中略)まだ雪を見ぬ岩木山は、十月の朝日に桔梗の花の色をして居る。山を繞(めぐ)つて秋の田が一面に色づいて居る。街道は断続榲桲(まるめろ)の黄なる村、林檎の紅なる畑を過ぎて行く。二時間ばかりにして、岩木川の長橋を渡り、田舎町には家並の揃ふて豊らしい板柳村に入つた。板柳村のY君は、林檎の監督をする傍、新派の歌をよみ文芸を好む人である。(中略)余はタアナア水彩画帖をY君に贈り、其フライリーフに左の出たらめを書きつけた。
  林檎朱(あけ)に榲桲黄なる秋の日を岩木山下(さんか)に君とかたらふ」

  「Y君」は安田秀次郎。翌日の早朝板柳村を出発した蘆花は、安田の案内で大急ぎで弘前公園を見物し帰郷の途についている。この時の様子を、1910(明治43)年11月3日付の徳冨健次郎書簡が伝えている(健次郎は蘆花の本名)。

  「写真は大小何れも些のイタミなし。弘前の彼朝のあはたゞしかりしさまや可笑し。(中略)紅葉一片、津軽の秋も暮近く想はれ候。武蔵野にまだ霜は置かず、紅葉はヌルデのみあかし。冨士は何時の間にか真白に候。」

  安田宅に一泊した翌朝、「あはたゞし」く弘前公園見物をした際に撮影した記念写真を安田が送ったのであろう。遠くみちのくの農村にある文学の友との交遊を伝える穏やかな書簡である。差出人の住所は、東京府北多摩郡千歳村(現・世田谷区粕谷)。蘆花の旧居がそのままに残るこの地は現在、蘆花恒春園という名の公園になっている。蘆花が来客を招いたという茅葺きの家屋は、幸徳秋水を偲び秋水書院と名付けられている。

(室長・櫛引洋一)

(平成20年2月28日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)