| Vol.25 後藤蝶五郎 川柳句軸「目を閉ぢて灰色もよき色のうち」
黒石出身の川柳作家、後藤蝶五郎(1899〜1959)は、小林不浪人が主宰した県内最初の川柳誌「みちのく」(大正7年創刊)同人として活躍し、編集者としても長く不浪人を支えた。昭和23年、県内柳人の強い要請を受けて青森県川柳社を設立、機関誌「ねぶた」を創刊した。「県下柳人の川柳の家」として「ひろく大きく伝われ」との創刊時の願い通りに、同社は県川柳界を長きにわたって支え、現在も中心となって活動している。
蝶五郎の川柳について、小林不浪人は「他の川柳家と違ふ色彩と香気の盛り上る何ものかを味はひ得る」「他の川柳家の気づかないところに気づき、他人の感じないものを感じてゐる」と評した(第二句集『いづみ』序文)。また、蝶五郎が師と呼んだ川上三太郎は第三句集『雪の声』の名付け親となり、「雪の声――それは静かに音もなく、しかも力づよく無限に叫びつづけるであろう」と賛辞を贈った。
「目を閉ぢて灰色もよき色のうち」は、蝶五郎の代表句の一つ。読む者の心にしみ入る、余情あふれる句である。一見抽象的に思えるこの句は、実はまさに蝶五郎の実感を伴った句であった。この句を作った頃、病のために、蝶五郎には色を見分けることができなかったのだという。目を閉じた蝶五郎に本当に見えたその「色」に思いを馳せる時、この句の味わいはさらに深くなる。
「ねぶた」昭和34年新年号巻頭にこの句が掲載されてまもなく、蝶五郎は病が悪化し、1月18日、帰らぬ人となった。
青森県の川柳の黎明期にあって、後藤蝶五郎は独自の抒情的作風を確立した柳人であった。その「抒情」は、現在も青森県川柳の大きな特徴として脈打っている。
(主幹・佐々木朋子)
(平成19年9月13日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)
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