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【青森県近代文学の名品】

Vol.23  陸羯南 短冊「神ますとあふぎしみればます鏡わが真心の影のうつれる」

  明治二十二年二月月十一日、大日本帝国憲法が発布されたその日、陸羯南(一八五七〜一九〇七・弘前市)は新聞「日本」を創刊、独立不羈(どくりつふき)、不偏不党(ふへんふとう)の精神を掲げて堂々の論陣を張り、近代ジャーナリズムの先駆として明治の言論界に大きな足跡を残した。羯南は生涯にわたって正岡子規(一八六七〜一九〇二・松山市)を庇護し、子規は新聞「日本」を舞台に俳句・短歌の革新運動を展開、晩年は病臥苦痛の中で「墨汁一滴」「病牀六尺」など忘れ得ぬ文章を書き続け「日本」に発表した。子規の羯南に対する限りない思いは、明治三十三年二月十二日に夏目漱石に宛てた書簡によくあらわれている。「陸氏ノ言ヲ思ヒ出ストイツモ涙ガ出ルノダ、徳ノ上カライフテ此様ナ人ハ余リ類ガナイト思フ」。書簡には涙の跡が滲んでいたという……。

  その子規が、唯一正面きって羯南と論争をたたかわせたことがある。新聞「日本」を舞台に俳句の革新を推進した子規は、明治三十一年二月十二日から「歌よみに与ふる書」を発表、短歌の革新に着手した。しかし、それは「内外共に敵」の状況で難航を極め、歌については一家言ある羯南も手強い「敵」の一人であった。羯南は歌において重んずべきは「しらべ調」 であるとし、「趣向」を重んじた子規と真っ向から対立するのである。子規はこの件については、「恩人」の羯南に対してさえ不遜な論戦を挑んだ。「御高見と愚見とは趣味の上に於ていちじるしく異なり候かと覚え候程なれバ、到底衝突ハ免るべからざる事と存候」(子規書簡、明治三十一年四月一日羯南宛)

  羯南は、激しく自説を押し通そうとする子規の短歌革新をも大きく包容する。現在開催中の特別展「陸羯南と正岡子規」では、ただ一点、羯南直筆の歌の短冊を展示している。

 神ますとあふぎしみればます鏡わが真心の影のうつれる

(室長・櫛引洋一)

(平成19年8月30日付・毎日新聞「今週のお宝」掲載)