本名・陸奥男。明治三十九年、東津軽郡新城村(現・青森市)に生まれる。船乗りを志して商船学校に学び、練習生としてカムサッカ、シンガポール等へ航海。十五才頃から作歌を始め、淡谷悠蔵の指導を受ける。鳴海要吉のローマ字歌集『TUTI
NI KAERE』に衝撃を受けて以来口語歌に改め、以後、日本口語歌推進者の一人として、生涯口語歌ひとすじに作歌を続けた。大正十四年、県内初の口語歌誌「オリオン」を創刊。昭和四年、淡谷悠蔵、竹内俊吉らと総合文芸誌「座標」に参加し、編集を担当した。
戦後、「青森県啄木会」結成、口語歌誌「波止場」・「青森文学」主宰など、県内の文芸の発展に貢献した。石川啄木と鳴海要吉研究を生涯のテーマとし、特に啄木については青森県啄木祭を毎年開催、県内計四カ所に啄木歌碑を建立するなど、その顕彰に力を注いだ。平成十七年九月八日逝去。享年98才。