注目の作家4   川崎 むつを
青森市出身の川崎むつをは、石川啄木と鳴海要吉を愛し、口語歌ひとすじを貫いた歌人です。生涯に5冊の歌集を残す一方、啄木・要吉の研究と顕彰に力を尽くした川崎は、平成17年9月、98歳でその生涯を閉じました。
 


夢の中に へんぽんと出帆旗が躍ってゐた めざめれば窓は いっぱいの青空
プロフィール
川崎 むつを
1906(明治39)年 〜 2005(平成17)年


  
本名・陸奥男。明治三十九年、東津軽郡新城村(現・青森市)に生まれる。船乗りを志して商船学校に学び、練習生としてカムサッカ、シンガポール等へ航海。十五才頃から作歌を始め、淡谷悠蔵の指導を受ける。鳴海要吉のローマ字歌集『TUTI NI KAERE』に衝撃を受けて以来口語歌に改め、以後、日本口語歌推進者の一人として、生涯口語歌ひとすじに作歌を続けた。大正十四年、県内初の口語歌誌「オリオン」を創刊。昭和四年、淡谷悠蔵、竹内俊吉らと総合文芸誌「座標」に参加し、編集を担当した。
 戦後、「青森県啄木会」結成、口語歌誌「波止場」・「青森文学」主宰など、県内の文芸の発展に貢献した。石川啄木と鳴海要吉研究を生涯のテーマとし、特に啄木については青森県啄木祭を毎年開催、県内計四カ所に啄木歌碑を建立するなど、その顕彰に力を注いだ。平成十七年九月八日逝去。享年98才。

 
資料紹介
歌集『カムサッカの歌』
口語歌誌「オリオン」三十五特輯として、昭和四年二月に刊行された歌集。

 商船学校在学中の大正十二年(むつを十八才)から十四年(二十才)に作った、初期の口語歌三一七首を収める。若き日の恋や母への思い、商船学校練習生としての訓練やカムサッカへの航海などが歌われている。

『子どもらが金とるようになつたなら楽してみたい』母の口ぐせ

明日にでも雪の来さうなカムサツカの空を見ながら索を引いてる

石川啄木文学碑拓本(青森市合浦公園)
(拓本・工藤四代治)

 

  船に酔ひてやさしくなれる

  いもうとの眼見ゆ

  津軽の海を思へば

昭和三十一年五月四日、青森県啄木会によって建てられた。啄木が明治四十年五月四日、妹・光子とともに津軽海峡を渡った時のことを詠んだ一首が刻まれている。短歌は啄木の妹・三浦光子、碑陰は川崎むつをによる揮毫。

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